2009-09-03
仕事が終わって帰宅したので,少し頭を整理してみました.だいぶ個人的な話が入っておりますがご容赦ください.今日は推敲できるほど頭が回っておりません.
私が先生を存じ上げたのは,おそらく中学生の頃だと思います.地学の授業は当時,クラスによって先生が異なり,私は別の先生に教わっておりました.当時も体調を崩されていらっしゃったと思います.
先生の授業を受ける機会がないまま,中高一貫の学校を卒業しました.高校生の頃には宇宙に興味がありましたが,それは物理の対象としてだったので,授業は物理/化学を選択しました.普通の理工系の生徒の選ぶコースです.当時の物理の先生を「全くお前って奴は....」と嘆かせていた事を思い出します.
幸いにも希望通り大学は物理学科に入る事が出来,卒業研究から宇宙物理(理論)の研究に従事.そのまま大学院に進学して博士の学位を取得しました.その後は『高学歴ワーキングプア』という言葉がありますように,任期付の研究職を転々としました.
2008年初夏,前年度の契約が切れて非常勤のわずかな職を得ているだけとなっておりました.将来の職の確保の見通しが立たず,「このまま研究者として,朽ち果てていくのだろうか...」と落ち込みがちになっていました.そんなある日,先生が教壇を離れ暫く療養されるために,代用講師を探しているという話を伺いました.「母校の力になれるのならば,ここでひとはだ脱ぐべきかな」という思いや,単純に仕事を探していたという事などから,応募して担当する事となりました.
入院直前に先生と引き継ぎの話をしましたが,先生があっけらかんとしており,大変深刻な事態であるとは分かりませんでした.事実を知ったのは,着任した翌月でした.先生のやりかけの授業を引き継ぎ,自分なりに出来るだけの事をやったつもりですが,先生が行おうとされた事を引き継げたかは自信がありません.とにかく授業に穴を開けてはならない,生徒の知的好奇心は十分に満たさなければならない,その想いだけで進めていたように思います.
授業期間中,先生は学校の事を心配して下さいました.先生が入院された事で,先生の教育が行き渡らず,担任クラスの授業が無事に行えなくなっていないだろうかということ,そしてもし問題のある生徒がいたら周りの先生に相談してほしいという心配りまでして下さいました.
どうにか年度の授業を終える見通しがたったころ,私は次年度(2009年度)の研究職の内定を受けました.大学よりも遥かに鋭い質問を浴びせかけてくる生徒たちに囲まれ,非常に楽しく授業を行ってきたので残念ではありましたが,講師を辞職する事となりました.最後に学年末試験を終えて先生に就職の事をご連絡したところ,今後の仕事を後押しするお言葉を下さいました.2008年度は先生をはじめとする多くの方々に励まし支えられ,ボロボロになっていた研究への志を取り戻したように思います.
2009年度に入り,私は分野を変えた研究職に就いたため,仕事についていくのが精一杯で,高校にあまり関われなくなりました.先生がもう一年休職されると伺い,またごく一部の生徒が私の授業に興味を持ってくれたので,また高校との関わりを続けていきたいと思っておりました.要望があり,高校生向けにまとめた特殊相対論のノートを理科の先生に渡した事をご連絡したところ,先生も興味を持って下さいました.5月に一度学校に来られたとの事ですが,行き違いになり会う事が出来なかったのが非常に残念です.
そして夏休みも明けようという9月3日早朝.高校のWebページを拝見し,先生が亡くなられた事を知りました.あまりの驚きに,暫くはショックで頭の整理がつきませんでした.体調が回復し退院されたところで,特殊相対論のノートをお見せしてご意見を伺えたらと思っていたのです.今改めて先生からの数々のメールを拝見し,生徒たちに対して慈悲深い心をお持ちであり,先生方への心遣いも丁寧なものであると感じました.
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